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ダーデンの死んだ牛の肉ブログ

シドニー生まれの日本男児

生きにくさってなに?

ごきげんよう、ダーデンです。

ところで、あなたは生きにくいと感じていますか?現代社会に生きる人々がどんなことに悩み何を求めて生きているのだろうか。俺は違和感を感じるポイントがあります。それは、他人に無関心でいながらボランティア体験には積極的、シラケてるけど絆を求める、今を楽しむより老後のことを考えて手堅く貯蓄に励む。これはマジョリティーから見れば完全に健全さを装った人々です。

まともな人間なら、一度や二度は生きることの意味、虚しさや人間の醜さ、愚かさを考えるであろう。特に現代社会に生きる日本の若者たちが、偏見もなく、悪気もなく、サッカーや野球にごく自然に熱狂し、たとえ日本が負けても「頑張ったと思う」などと言って大して気にしない。居酒屋やファミレスで安い酒を飲みながら朝までくだらないおしゃべりを楽しむ。ごく自然にウヨ豚化、サヨ豚化して、ごく自然にデモに参加する。何か事件が起こっても軽く受け止めて流し、ごく自然に他人との距離をとって、他人に深く介入せず、全身で渇望することもなく、絶望することもないのです。けれども、人生はそこそこ楽しい。

これってなんだか薄気味悪いと感じませんかね。なぜなら、「苦しむ」ことはとても大切な才能だと思っています。葛藤を抱えながら苦しむプロセスは、自己同一性(Identity)を確立します。誰もが通過するプロセスと考えられてきました。このプロセスをしくじった人間、あなたの周りにいませんかね。ただ何となく不快、ムカツク、カッタルイではなくて、不安や絶望を真に味わい苦しむ経験は不可欠です。

自己同一性の確立プロセスをしくじった人間も、一見すると、品行方正で真面目で繊細でありますが、思わぬところで非常識のきわみとも言える行動や言動を取ります。それをわずかにでも批判すると、不思議なほどの凶暴性を発揮する。自意識と感受性が強いあまりに、自分が侮辱され人格を否定されたと実感し、猛烈な情熱で自らを弁解します。重要なのは、それが内側に向かう攻撃性と外に向かう攻撃性の違いです。

客観的には恵まれた立場にいても生きにくさを抱えていたり、死にたいと思っている人々は数多く存在します。それは周囲に対する敵意と攻撃性を、直接的に表現できない人々です。憎しみを間接的に表現しているわけです。自殺は内側に向かう攻撃性の帰結です。自意識が死と競争して死に負ければ、自ら命を断ちます。この生きにくい世界を楽しむか、生きにくいこの世界に別れを告げるかはあなたの自由なのです。